-- --

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
23 2007

見れば見るほど 夜桜考


携帯で撮ったものながら、この夜桜、見れば見るほど、なにか迫るものがある。

写真そのものは、解像度もフレーミングもよくないが、その場で受けた強い印象と、それによって思い起こされた記憶が、この写真を、頭に焼き付けているような気がする。

下を流れるせせらぎも、ライトに映える桜を、光の反射と、微かな水音で、引き立てていた。

きれいだった、というより引き込まれるようだった。

なにか、背後の闇の中に、いた。

闇の中に、なにかが、佇んでいる。意識あるなにかが。

そんな気が、確かに、した。


音のない、静寂さが、却って、その、もの言わぬものの存在を、感じさせているのではないかと思う。


光が引き立たせる、闇の暗さ。


薄れそうになる、記憶の奥で、何かが、闇の中で輪郭をもって見えてくる。

遠く。。



あの時、闇の中で聞いた、友の死。

何年ぶりかで電話した、その一週間後に届いた、その知らせ。

自死。


あの時の、凍りついた数刻を、忘れない。

人気のない、仕事納めの後のオフィスにひとり戻り、何気なく立ち上げたiMacに入ってきた、一通のメール。
その文面の意味を理解できず、流れていくだけの時間。
モニター画面に並ぶ、淡々とした文字の列。

戸惑いと、打消しと、そして、非現実感。

そして、ふいに、戸外の暗さが、やけに気になった。

人気のない、深い、深い、闇。


非日常の、人のいないオフィスの静けさと暗さが、全ての非現実的な感覚を助長する。

闇に囲まれ、つのる孤独感。


どうやって、その感覚とその場にケリをつけ、iMacの電源を落とし、戸締まりをして、オフィスを後にしたのか。

記憶は残っていない。


なぜ、自ら命を絶つのか。。。
鬱、うつ、とはそこまでパワフルで、狡猾なものなのか。



すっかり暮れた、漆黒の中、番地を頼りに、家を探した。
人影もなく、行き過ぎる車も、乗ってきたタクシーが去った後はただの一台もなく、まばらに建つ新築の家々からは、生活の音すら聞こえてこない。

ただ、夜空だけが、やけに広く感じる。

闇の中を何周かしたのち、迎えに出てくれた家族の方と出会い、大きな玄関に招き入れられた。
照明の蛍光灯をすっかり映すほどみがかれたフローリングが、鮮明な記憶に残る。

通されたリビングの贅沢なほどの広さと、一目でわかる調度品の質のよさから、何不自由ない豊かな生活が想像できた。

部屋の片隅に、骨壺と、不鮮明な彼の写真が、無造作に置かれていた。
そこは、彼のパソコンが置かれていた場所だという。

写真の中の彼は、泣いているように見えた。

たくさんの、とてもたくさんの、苦しさ中にいたと。

そして、実際、よくここで、泣いていたと。

長い沈黙のインターバルを交えながら、聞く話には、なにか、現実感がなかった。

彼とは随分会っていなかった。またいつか、会えるような気が、普通に、していた。


そこを辞し、車で駅まで送られた。

人気のないプラットホームが、蛍光灯の明かりに照らされて、さびしげに見えた。

逆に、周囲に広がる漆黒の闇が、却って深く、奥深く、そして何かで賑わっているような気がした。


あれ以来、乏しげな白い照明に照らされ、その暗さと存在を強調された闇を見ると、そこに、何か、意識ある何かが、その意識と、視線を、送っているような気がする時がある。


この夜桜で、久しぶりに、それを感じた。


最近、自死した彼が熱心に取り組んでいたテーマが、あちこちで取りあげられているのを見る機会が多くなってきた。

あの頃は、とてもマイナーなテーマけれど、自死などしないで、あのまま仕事を続けていたならば、今頃、注目を浴びて、明るいところを歩いていたかもしれない。

その事が、彼の幸せや安らぎかどうかはわからないが、いま、何か、彼の仕事を引き継ぐ何かに、役立つ事があるのかもしれない。



闇の中から感じる視線や意識は、そのメッセージなのかもしれないと、思ったりしている。


関連記事

- 5 Comments

☆ルナです☆  

・・・なんか深いな・・・・・・・・そのセリフ・・^^;

2007/04/24 (Tue) 01:14 | EDIT | REPLY |   

devilman  

☆ルナです☆さん > そうかもしれないですね。桜の四季は、本当にダイナミックです。命感じますよね。ライトアップって、見えないものを見せてしまっているような気がしているんだ。余計に闇が暗く感じる。

kateさん > 別に自分を責めてはいないけれど、周囲のいろいろな動きの体験を積み重ねてくると、すべてが、巡り合わせのような気がきますね。自分が自分であることの、反射というかね・・

momokoさん > 意識は、いるときはいるんだと思います。少なくとも、自分の心の中には、いる。。どんな、この世の去り方でも、それはその人なりの生き方なんだと、思うようにしています。

2007/04/24 (Tue) 00:50 | EDIT | REPLY |   

momoko  

うまく言えませんが、そこにいると思った時はいるのかも知れませんね。はっきりと何を訴えたいのか分かりませんが、私もたまにあります。
見た事はないけれど、おばあちゃん・おじいちゃんのお墓参りに無性に行きたくなったり、おじちゃんは若かったのに苦労しいて、なんでそのまま?と、思う事もあります。
自死の方は周りにいないけれど、生きたいのに亡くなってしまう方とか考えると、やっぱり理解できません・・・。
残された人達は、もっと辛いのに。

2007/04/24 (Tue) 00:42 | EDIT | REPLY |   

kate  

とても深く悲しい出来事があったのですね…色んな方が其々に抱えた苦しみを少しでも理解して近づいてあげること…それが一番大事なことなのでしょうが、生きている私たちは気づかないことの方が多いですよね。でも自分を責めることはないですよ…皆同じですし、神様ではないのですから…でも意志を継いでいくことはできますよね。

2007/04/23 (Mon) 22:11 | EDIT | REPLY |   

☆ルナです☆  

桜の花には何故か不思議と人の心を動かす力があるように感じる・・・
永い時間、じっと耐えて時を待ちながら 一瞬のその時を待って 一気に咲き誇る桜に、どこか、今の「生」と共通するものを感じるからなのかな・・・
生命の不思議さと、永遠の中の 一瞬にすぎない「今」・・・どこか似ている気がするから 命の奥のほうのナニカが呼び覚まされるのかな~って思う・・・

2007/04/23 (Mon) 10:26 | EDIT | REPLY |   

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。