数か月前から、野口五郎小屋がFACEBOOKを始め、日々の小屋開けへ向けた作業、登山道整備、日々の天候など、様々な情報を提供してくれるようになって、そのリアルタイム性に、大変惹かれるものがあった。
コメントをつければ、返事ももらえ、小屋スタッフが身近に感じられるようになると、すぐにでも行きたくなるのは無理もない。
それとはまた別に、北アルプスには、課題がある。
1997年に新穂高から双六に上がり、西鎌尾根から槍ヶ岳を目指した際に、三俣蓮華岳まで足を延ばしたのだが、
その時に見た、水晶岳の、何か主張しているような姿に魅せられてしまっていたのだ。
翌年のお盆に、それを目指したが、台風の影響を受け、撤退寸前で笠新道から笠が岳だけを果たし、下山してしまったり、3年ほど前に九月末にやっと取れた夏休みで、やはり新穂高から水晶を目指したものの、足の調子が悪く、再度三俣蓮華に到達するのがやっとだった。
さらにまた、思い出してみれば、学生時代、一人暮らしの自室に、鷲羽岳から鷲羽池ごしに槍ヶ岳と北鎌尾根を映したポスター(山と渓谷の付録)が貼ってあり、それは、槍と北鎌尾根のベストアングルとされていた。
そして、当然、こういう風景を一度見てみたいと思っていた。
一度は、と思い続けていた事柄が、たくさんあった。
上げてみれば、
・ブナ立尾根を登り、裏銀座を縦走すること。
・鷲羽池ごしに、槍ヶ岳を眺めること。
・雲の平を散策すること。
・(いつもはお盆過ぎに行くので)お花畑の最盛期をみること。
・三俣蓮華岳から北に、地図の赤線を延ばすこと。
・テント泊縦走を久しぶりに実行すること。
・(松濤明の風雪のビバークや加藤文太郎の単独行で親しんだ)湯俣の道をあるき、北鎌と槍を眺める事。
地図をみれば、これらをすべて一度に達成できる案が浮かんでくる。
これが、計画の楽しみだ。
当然、野口五郎小屋に一泊することも織り込んでだ。
で、立てた計画は、
一日目・・七倉-ブナ立尾根-烏帽子岳-野口五郎小屋(泊)
二日目・・野口五郎小屋-水晶小屋-鷲羽岳-三俣小屋テント泊
三日目・・黒部五郎岳往復-三俣小屋テント泊
四日目・・三俣小屋テント-水晶岳-赤牛岳-奥黒部ヒュッテテント泊
五日目・・奥黒部ヒュッテ-平の小屋-針の木古道-船窪テント泊
六日目・・船窪テント-七倉
これは、かなりリスクのある計画で、日程に余裕がない。
特に五日目の針の木古道の登りは、渡渉を繰り返す難路で、これをこの長丁場の後半に持ってくると、何かあった際の予備日がなく、またエスケープ路もない。
いろいろ検討しているうちに、やすみが五日間しか使えないことになってしまい、
結局、
一日目・・七倉-ブナ立尾根-烏帽子岳-野口五郎小屋(泊)
二日目・・野口五郎小屋-水晶岳-鷲羽岳-三俣小屋テント泊
三日目・・黒部五郎岳往復(あるいは雲の平)-三俣小屋テント泊
四日目・・三俣小屋テント-水晶小屋-真砂岳-湯股テント泊
五日目・・湯股-七倉
となった。。
で、いよいよ出発。
いつもと違い、テント泊縦走で五日間にわたる山旅のため、食料は軽量化に重点を置いた。
要は、いつもは避けているフリーズドライを積極的に使うのだ。
それでも、なま米は二合もった。二日間は生米を炊き、朝は残りを雑炊に。
残りの二日間はα米を使って同様にこなす。
足りないときのために、マルタイラーメン二食分、粉末スープの素、生みそ系の味噌汁の素、春雨スープ、リゾット、などなど、結構軽いものはたくさん持った。
そして、さあ出発という時になり、やはりいるな、と思って、ゼリー飲料4パック、フルーツパック2、オレンジ、キュウリと味噌をがさがさ詰め込んだら、20キロになってしまった。。
パッキングはあらかじめやってあったので、食料を詰めるだけだったが、コースの検討をしているうちに、就寝が遅くなり、結局、また寝坊した。。。
自宅出発が、5時半を過ぎてしまった。。。。これでは、初日は烏帽子テント場どまりだ。。
天気は上々、高速を走っていると、小諸を過ぎたあたりから北アルプスがくっきりと見えるようになってくる。
槍穂高

鹿島槍から五竜

五竜から唐松岳への後立山連峰。

豊科インターで出て、大町に向かい、七倉へ。
これが、ロックフィルダムだ。

七倉ダムの駐車場は、半分ほどの車で埋まっている。9時少し前に着いた。
高瀬ダムへの特定タクシーに乗ろうとするが、出払っており、支度をしつつ、少し待つ。

他に誰もおらず、一人で特定タクシーに乗ったため、2100円フルにかかった。
誰かいれば割り勘になったものの。。
高瀬ダムに到着すると、もう九時半だ。

それにしても、いい天気だ。

見上げると、前烏帽子が見える。

いよいよ、歩きはじめる。
さすがに、テント泊五日の荷物は重い。

まずは、トンネルを抜ける。

不動沢を吊り橋で渡るが、白い砂でおおわれた沢は、眩しすぎる。


少し行くと、テントサイトがある。


河原を歩き、次は濁沢を渡る。
奥に滝が見える。


いよいよ斜面に取りつくところで、最後の水場とあり、ここで満タンに水を汲む。
これ以降、明日の三俣までは水場はない。

唐沢岳がまぶしい空に聳える。
逆光で見にくいが、幕岩が見えている。

アルプス三大急登の、ブナ立尾根の始まりだ。
登り始めたところで、単独行者、三人とすれ違う。
「サルがいた」と一人が言っていた。

いきなりの急登だ。

登り口が「12」で、ほぼ15-20分ごとに、番号が現れる。
道は、大変良く整備されていて、非常に歩きやすい。
急登だが、着々と登っていける。重荷なので、焦らず、リズム良く登る。

強い日射しだが、風が涼しく、木漏れ日が美しい。気持ちよく登っていく。
数組の下山者と行き合う。



木々の間から覗く空は、青い。

そして、雲は白い。


ここが、権太落とし。番号は9番。登り口の水場から、1時間ちょっと。




高度が、少し上がった感じ。夏空らしい雲が浮かんでる。安定した天気なんだな。




眺めも効くようになってくる。
船窪の稜線だ。南沢岳と不動岳の間の南沢乗越だろう。


こちらは、唐沢岳から、餓鬼岳の稜線だ。ほぼ、高さが近づいてきた。

唐沢岳と、その中腹に見える幕岩。


赤とんぼ。

山腹の急登から、道は尾根道になってくる。こんな広場も現れ、だいたいが、番号のふられた場所。

さらに高度があがり、南沢乗越の稜線の向こうに、針の木岳と蓮華岳が見えてきた。

ここが三角点の場所。権太落としから2時間。


烏帽子岳が見えた。


南沢乗越と不動岳。

この辺りから、ダケカンバが現れる。

ふーっ、3番まできたぞ。

休憩して、とっておきの「OS-1」を飲む。
ここまで、ゼリー飲料3パックと、フルーツパック1つで、水にはほとんど手を付けていない。
ゼリー飲料のエネルギーは結構すごい。


唐沢岳と餓鬼岳も高さが比肩するところまで来ている。
餓鬼岳に登って、もう20年になるな。


やっと、ブナ立尾根を登り切ったようだ。

針の木岳の手前に重なっているのは、南沢岳。針の木岳から右へ、蓮華岳のなだらかな稜線が、すぐそばに見える感じだ。
それにしても、南沢乗越あたり、崩壊がすごい。

烏帽子小屋到着。3時少し前だ。登り口が10時過ぎだから、ほぼ5時間弱。快調かな。

烏帽子のテント場は、なかなか落ち着いたところ。

明日の行く手、三つ岳への稜線が目の前だ。

テントを張って落ち着いたら、夕立が来ないうちに、烏帽子岳へ行かなくちゃ。
この稜線、結構サルがいて、木の実の食い散らかしがあちこちに落ちているし、平気で、歩いている前後に姿を現す。



頂上へは、この鎖で直登する。

あそこがてっぺん。

カメラには超危険だったが、セルフで撮影。

烏帽子小屋を見下ろす。途中、一瞬パラついたが、雨はそれ以降は降らず。

途中小屋で水を二リットル買い、テントに戻る。
そして夕食の準備だ。

なま米を炊くのに、炊き込みご飯の素を加えて炊いた。少し焦げたが、何とか五目御飯ができた。
それに温めたチキンハンバーグ。

テントの背後の稜線に夕日が当たりだして、明るくなった。

三つ岳の稜線が、夕日に浮かび上がる。
明日は、暗いうちにあそこを辿らねばならない。

早めに就寝。なかなか寝付かれなかったが、星空を見ることもなく、シュラフにくるまって、夜を過ごす。
テントは、学生のパーティー二組含め、6-7張のみ。静かな夜だった。
いよいよ、明日は長丁場だ。野口五郎小屋までいけなかったから、明日は三俣のテント場まで頑張らないと。
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