17 2012

山のアルバムから・・荒れる山

春へ向かう季節の流れも、時として冬に逆戻りすることがある。

そうした時、遭難のニュースが聞こえたりする。

三月の山を中心に積雪期の山に行っていたころ、しばしば遭難多発の日に山に入っており、

遭難原因となった気象条件に、同様にさらされていたことが何度もある。

気温が上がった山で、雨がふり、雪が融けた後、再び寒波が押し寄せ、融けた水を凍らせるとき、

厳冬期にはない雪山の恐ろしさに出会う。



大学の研究室にいたころ、同僚と二人、山形県境にある船形山に、それぞれ別ルートから入り、

頂上の小屋で合流し、交差して下山するという計画を立てた。

三月、まだ東北の山は十分に厳冬期だが、冬型の緩む日数も少しずつ長くなってきた頃だ。



定義という温泉地からひとり入山した時、雨が降っていた。

仕方なく、ハイパロンの雨具を身に着けて重荷を背に、登りはじめた。

貧乏学生のこと、ゴアテックスなどというものには手が出なかった時代だ。



静かな登山道、平日のせいか季節のせいか、人は他にいない。

雨が降るくらいだから、気温も厳しく低いわけでもなく、雨具の下の衣類は、蒸れと汗でぬれていった。

休憩時に歩みを停めると、濡れた衣類が凍える冷たさだった。

標高が上がるにつれ、ガスが濃くなり、わずか灌木の濃い色のほかは、降り積もった雪と白く視界を遮る空間で、

ルートは極めてわかりにくい状態だった。

もはや夏道は当てにならず、地図とコンパスで、進む方向を決めるしかなかった。

雨はいつしか霙か雪に変わり、ごわごわに凍った雨具をヤッケに替え、かろうじて見える灌木の黒だけを手かがりに、

コンパスの示す方向へ足を向け、黙々と登り続けた。

そろそろ目指す後白髭あたりだろうか、と思って目を上げると、

「おおっ」と声が出た。

目の前一メートルの正面に、その指導標が、ガスの中に忽然と現れたところだった。





地図とコンパス。。




ここからは忠実に稜線を辿ることにした。

本来はトラバースしていくところも、この視界不良のホワイトアウトの中、リスクを避けるために、多少の岩場だろうが、

ハイマツの藪だろうが、稜線を辿った。

ピークの高さとその数を地図で確認しながら、泉ヶ岳からくる稜線との合流点、三叉路を目指した。



積雪はどのくらいあったのだろうか。



結果的には、三叉路の指導標は、雪の下に埋まっていたのだ。


したがって、稜線が合流したのに気付かず、しばらく行ったところで、

雪の上に少しばかり出ていた、「蛇が岳草原入口」の指導標に気付き、

それを掘り出して文字を確認して、初めて自分の位置を確信することになった。

三叉路から20分ほど行き過ぎたところだ。



合流するはずの彼のトレースは、この合流した稜線に刻まれていなければならなかった。

しかし、その形跡は全くなく、まだ彼はここまで来ていないことが分かった。

すでに3時。

頂上へは、おそらく一時間から一時間半を見る必要があった。

しかし、このホワイトアウトと強風。頂上避難小屋にたどり着いても、彼が登ってくるかは、わからなかった。

結果、ここでビバークすることに即決した。

蛇が岳というまるい丘のようなピークの北東の斜面に降り、灌木の間の雪面を整地して、ツエルトを張った。

ほんとに、夏山装備のようなツエルトの中に貧弱な半身用の薄っぺらいウレタンマットを敷き、

ダウンシュラフに半シュラフを重ね、羽毛服を着込んで、もぐりこんだ。

強い風がツエルトをたたき、ガブリ、大きな音をたて続けた。

夕刻が迫ったころ、なんとか灯油コンロに火をつけ、カレーうどんを作って食べた。



心のよりどころは、一泊では食べきれない程の食料を詰め込んだ段ボール箱だった。

ミニ笹かまぼこの入った袋に手を突っ込んでは、口に運んだ。

冷たかったが、食べている限り安全なような気がしていた。

加藤文太郎の「単独行」の中にある、食べてさえいれば、雪の中で眠っても死ぬことはない、という話を頭の中で反芻して。

風は一晩中吹き続けたが、雪が降ることはなかった。

しかし、結局ツエルトは倒され、シュラフを包む袋と化し、そのまま雪の中に埋もれた状態で、一晩を過ごした。

不思議と寒くはなかった。


夜中中、ガスの中、どうやって下山するか、それだけを繰り返し、考えていた。

地図とコンパスを活用しても、下りは登りの数段、難しいはずだった。






朝、明るさを感じてツエルトをはねのけて外を見ると、東の空に太陽の輪郭が見え、強い風に、雲が、

その太陽に飛び込むようにどんどん飛び去っていくのが、とても不思議な光景として、目に映った。

視界が利きそうだ、そう思った。


風が強く、コンロは使えそうになく、ミニかまぼこなど、食べられるものをかっ込んで、パッキングして行動を開始した。

その時、もう頂上へ向かう気はなくなっていた。


とにかく、無事降りたいと思っていた。


稜線まで登り返した時、そこに、一筋にアイゼンを履いた足跡が、頂上へと向かって続いているのが、目に入った。

彼だ。

こちらがビバークの態勢に入った後に、ここを通って頂上へ向かっていったのだ。

しかし、頂上方面は、暗いガスの中にあり、その稜線の輪郭すら見えなかった。


彼は、頂上往復の後、こちらが登ってきた定義温泉へと下山するはずだった。



天気の行方は分からなかったため、合流することはあきらめ、泉ヶ岳方向へと下山を始めた。

歩を進めるうちに、風はひどく強かったが、少しずつ視界が開けつつあった。

前日は出すことができなかったカメラを取り出し、何枚かシャッターを切った。



奥の暗いガスの中のあたりが、ビバークした蛇が岳。

船形山1


前日に辿った稜線。 あのピークを一つ一つ、稜線を外さないように、越えてきた。

船形山2



少しずつ視界が開けてきた。

前日、気づかないで通り過ぎた三叉路あたりが見えている。

船形山3




泉ヶ岳方面へは、三峰山というピークを越えて、ブナの樹林の中へコースは導かれる。


樹林に入ると、それまでの強風が嘘のように静かになる。

上空は、まっ青な空となった。

日が射し、木の幹につけられた赤ペンキがはっきり見えるようになる。


もちろんトレースはない。

わかんをつけて、膝くらいまで潜るが、地図とコンパス頼りの登行に比べれば、気は大変楽だ。



船形山4


自分のトレースを振り返って、

あの時、いったい何を思っていたのだろうか。



午後の日差しの中、バス停まで降りついたところに、一人の登山者がいた。
同じ大学の同じ学部の大学院生だったが、二か月後に、同じく山形県境の面白山という山で、また出会うことになった。


ちなみに、交差縦走を企図した同僚とは、翌日大学の研究室で無事再会したが、入山した日は、夕刻に頂上にたどり着いたものの、避難小屋の戸が凍ってどうしてもあかず、小屋の壁に寄りかかってツエルトをかぶり、一夜を明かしたとのことだった。
そして下山もルートが見えず、とにかく雪の斜面を下り、定義温泉から離れたところで林道に出て、なんとか帰り着いたとのことだった。


自分と山だけ、それ以外の何も予想せず、ひたすら山と語り合った日のこと。


今考えると、結構大胆だったな、と振り返って、思う。

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6 Comments

devilman  

あゆみ工房さんへ

あははは。。。若い頃ですからねぇ。。
仲間と交錯するということなので行ったのかな。一人ではいかなかったかも。

でも、食料、燃料、防寒の装備は十分すぎるほどだったので、
だめなら何泊かビバークすればいいやって、余裕ありましたよね。
それが慌てないためには重要かもしれませんね。
今でも、どこでもビバークできるようにって、装備は手を抜かないようにしています。

問題は体力が落ちてきていることにどう気づくか、ですかね。。

2012/02/28 (Tue) 00:14 | EDIT | REPLY |   

あゆみ工房  

事実は小説より・・・ですね

『交差縦走』という企画は面白いが、若気さゆえの無謀さ。(ごめんなさい)
主人公は、無事に朝を向かえる事が出来るのか?
友人は、どうなったのか?
その辺の山紀行文よりずっと、ワクワクして読ませて頂きました。
翌日の再開を知り、本当にホッとしました。

遭難のニュースは、後を断ちませんね。
皆さん(自分も)、無事に帰りましょう。








2012/02/26 (Sun) 22:49 | EDIT | REPLY |   

devilman  

俄歩人さんへ

本当にね、若い日の思い出ですね。

あんな山、吹雪いたらどっちもこっちも全く分からなくなりますから、
それが心配でした。

でも、二泊や三泊はできるものもっていましたから。
体力があれば、いろいろな装備も躊躇なくかついで行けたんだと思います。
一泊のくせに、段ボールの半分以上食料だったような気がします。
ツエルトやマットなどは全く夏用でしたが、シュラフや羽毛服は信頼のおけるものでしたので、
ビバークはあまり心配していませんでした。

蔵王も縦走したことがありますが、厳冬期はちょっとスキー以外は。。。

2012/02/19 (Sun) 19:48 | EDIT | REPLY |   

俄歩人  

こんにちは

 若き日のよき想い出のひとつですね。
食べ物に余裕のあるときの「うん 大丈夫だ・・・」という心強さ、
良くわかります。
 蔵王連峰が車で溢れるようになってからは、
この船形連峰が地元の方々に愛されていると聞きます。
この県境山塊の南側 秋保・作並・定義の温泉群、また北側の
銀山温泉など妻と走り回ったことが想い出されました。

2012/02/19 (Sun) 15:13 | EDIT | REPLY |   

devilman  

ブルさんへ

いやいや、雪山に慣れた人なら、そんなに大変なことではないのだと思います。
私にとっては、あまりないことでしたので、緊張しました。
吹雪などにはならなかったので、幸運でした。

ただ、食料を始め、装備は割と万全だったし、
何をすればよいかは分かっていたので、
精神的な余裕がありました。

それに、気温など、厳冬期ではなかったために、助かった面はあると思いました。
いずれ、いい経験になった山でした。

2012/02/18 (Sat) 22:22 | EDIT | REPLY |   

ブル  

No title

こんばんは。
すごい経験をしていらっしゃるんですね。
生きていてよかったと実感されたのでは。

2012/02/17 (Fri) 23:23 | EDIT | REPLY |   

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