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09 2011

未曾有の記憶 

震災から半年、かの地に多くの知己がおり、その消息に心を悩ませてはいたが、

事が事だけに、なかなか問い合わせの連絡もするにしかねていたのだが、

気がかりだった一人から、あいさつのはがきが届いた。

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石巻のこと、多くの親戚縁者が視線をさまよったとのこと、しかしながら、身内の人々は奇跡的に無事に再会ができたとのこと。

仮設住宅での暮らしが始まっていること。。

そして多くの児童が犠牲になった小学校の校庭に残された、ケヤキの大木の写真が小さく印刷されていた。


こうして知らされて、初めて知ることは、ニュースで伝えられることの幾倍にも、衝撃が大きい。



帰宅難民の渦中で、ウィンドウ越しに見たテレビ画面の、津波が田畑や家々を飲みこむ様相が、音もなく、耐えがたい重さだった記憶。

震災数日後に公開されたGoogleの航空写真で、陸前高田市内にあるはずの友人の勤め先のビルを探したけれど、そこには何もなかった時に感じた、信じられない思い。

仙台の友人から届いたメールの、ひたひたと堤防の向こうで溢れそうになっていた海面を、教え子の児童たちと、呆然と見ていたという文面を読んだ時の、なぜかリアルな恐怖感。


先月、陶芸をやっている仙台の友人が、復興宮城のイベントに参加するために上京するという知らせに、真っ先に会いに行った。

そして、今まで聞けなかった、たくさんの友人の消息を聞いた。

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高田の友人の話は、ここではじめて詳しく聞いた。

帰宅し、それまで知るのが怖くて検索していなかった、被災者の名簿を引いた。

やはり、彼の名が、身元の判明した被災者の中に、書かれていたと同時に、考古学に熱心だった彼の業績に触れた記事も見つけた。



若い頃、みんなを高田に招いてくれたとき、冬の寒風の中、海辺を案内し、多くの水鳥を見せてくれた。

その前夜には、市内の小さな酒場で、地元の若い人たちも集まって、きやっときゃとはしゃいで楽しいだことを思い出す。


釜石、大船渡、陸前高田、石巻、志津川(現南三陸町)、石巻、仙台(荒浜、閖上)、亘理、山元、相馬。。。

濃い薄いはあれ、いずれも、かかわった人たちの住んでいたはずの地名だ。



冒頭のはがきは、年始のあいさつの欠礼をわびる趣旨のものだった。


こちらも、今年の年賀状をどうしようか、考え始めている。











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