もちろん、デカくて、重い。冬用なんて半端じゃない。
用具係が担ぐことになるので、係の分担を決めるときは、暗闘がおこる。
同様に、人数が多いので、大鍋を持っていくのだが、その担当にも、だれもなりたくないから、
食料係も、押し付け合いが始まる。
そういうことが起こるので、テントではなく小屋泊まりを主張するものまで現れる。
ただ、それでも自炊だから、大鍋係は誰かがなる。
欠席者が多ければ、鍋は小さいのを持っていくことになるので、争いは収まる。
なんだかんだで、テントを分担することなく、卒業できたが、大鍋は何度かあたった。
山で、大鍋をザックに着けている人などいないから、恥ずかしいし、だいたい雷が鳴ったら、
恐怖だ。
高校を卒業して、そんなクラブ活動の山から解放されると、なんか、とても自由になったような気がして、
いろんな山に行きたくなる。
特に、大学生活は、親元を離れたこともあり、自由な気分になる。
そして、その前に、かっこいい装備がほしくなる。
でもまあ、学生だから、高くて買えないことが多い。
最初に山仲間とやったのは、「二食付」で小屋に泊まることだ。
これって、どんなに楽だろう、と思っていたからだ。
大学一年間夏休みに、雲取山の白岩小屋に、二食付で仲間と三人、泊まった。
でも、一人になると、やっぱり、何から何まで自分で担いでいくのがスタイルだな、と気づく。
それでテントをやっと買ったのは、大学二年だ。
これが完全な失敗。安さにつられ、毎号のように山と渓谷に広告を打っていた、
名もないショップのオリジナルテントを買ったのはいいが、
縫い目に不具合があり、雨が漏る。
しかし、クレームしようと思ったところ、次の月には店自体が閉店し、会社もなくなっていた。
最悪だ。。
仕方なく、自分で修理し、しばらく使っていた。
今考えると、当時でも相当性能の悪いテントだった。
それでも、雨が降らない時に寝るだけなら、何とかつかえたテントだったから、
別の大学のサークルの友人がほしいというので、あげてしまった。性能は了解の上だった。
写真が変色しているけれど、スキャンしてみた。
宮城県と山形県の境にある、船形山に、残雪期に登った時の写真だ。写っているのは、今は長野で教員をしている友人だ。

よほど使いにくいし、一人で行くのに大きすぎるし重いから、お茶の水にあった職人の店で、ツェルトを買って、使い始めた。
居住性を考えて、2人用のツェルトだ。
下の写真は、岩手県の焼石岳の頂上ドームの下に張った時だ。
もちろんここは、本来の幕営地ではない。
九月末の平日。入山から下山まで、だれにも会わなかった。

こちらは、甲斐駒の黒戸尾根の七合目のテント場だ。フライがなかったので、夏の夕立には戦々恐々としていたが、
降ったのは一回だけで、なんとか新しいためか、中にしみることはなかった。

このツェルトではさすがに冬はいけないので、次は相当無理をして、カモシカスポーツの「エスパース」を買った。
そして、早速、三月の八ヶ岳に、渋の湯から登った。
一人で登ったのだが、テントは2-3人用、ばかばかしく重かった。
だいたい、今のように小さくならない。
黒百合平のテント場。
次の日は上天気で、東西天狗岳に登り、中山を経て、高見石でのんびりし、渋の湯に戻った。

こちらは、一月の赤岳鉱泉のテント場。
この時は、船形山の写真に写っている、友人と二人だった。

その後数年間は、夏は素泊まり小屋利用で、縦走をしていたが、素泊まりだと待遇の悪い小屋や、
そもそも素泊まりの泊り客が少なく、時には自分しかおらず、居心地が悪い思いをしたこともあり、
いっそテントにしようと、山と渓谷の広告を探し始めたときに、秀山荘の広告にちょうど出ていたのが、
アクシーズクインの「エアーズロック1.5」というモデルだった。
一人用の軽量ドーム。
あまり他で見ないようだったし、バーゲン価格が割と安かったから、見に行って、即購入してしまった。
その年の夏山で登ったのは、北アルプスの餓鬼岳。
本当は、燕岳か、その先まで縦走するつもりだったが、悪天候で、餓鬼岳だけで下山した。
第一日目、登山口にあたる、白沢に張った新品テント。

結局、天気が持たないことがわかっていたので、一日雨で沈殿した後、とりあえず雨が止んでいた三日目に
テントを置いて登り、餓鬼岳小屋に一泊、次の日に雨の中下山した。
翌年は、南アルプスの三伏峠から荒川三山、二軒小屋、転付峠越えと、南アルプスを横断するルートを歩いた。
これは、二軒小屋のテント場。

次は、やっぱり、北アルプスに戻り、
種池から、爺が岳、鹿島槍、キレット、五竜、唐松、不帰、天狗岳、そして鑓温泉経由で下山した時、
唐松のテント場に張った、マイ・テント。
この時は、キレット小屋に、台風のため、二晩閉じ込められた。
小屋に二泊した朝、風雨をついて、出発し、八峰、五竜を越え、唐松岳まで来て、行動を中止し、テントを張った。
まだ午前10時だったけれど、不帰の岩稜を雨の中下っても、危険と同時に、何も見えない時に行っても、つまんないから。
唐松山荘でぬれた服装のまま飲んだ、生ビールがうまかった。
翌朝は、台風一過、スンバらしい天気。ご来光を唐松岳の山頂で迎え、大展望の中、不帰の岩峰を越え、
天狗の大下りを逆に登り、大出原のお花畑の中、行列する登山者の横をカッ飛んで下った。

翌年夏は、双六と三俣蓮華、西鎌から槍が岳、槍平、新穂高と歩いた。
入山一日目のわさび平のテント。

これは、西鎌から槍を越え、下りてきた槍平のテント。

この次の年に笠新道から笠が岳に登り、笠が岳の稜線に張ったのが、このテントの最高到達高度となったが、
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それ以降、しばらく出番がなくなった。
その理由は・・・・

子連れ登山。。。

ここは、北八ヶ岳の白駒池ちかくの駐車場。
子供二人を連れた登山の過酷さ。。。。この子たちの母親は、山には興味がない。。。
上の写真で分かる通り、親子三人の四日分の食料とテントで、背負子一つ分。
車の中に、その他の装備をつめた大型ザックが一つある。
ここから白駒池のテント場まで、もう一回、荷物を取りに来なければならない。
実は、この前年、同じく白駒池に、この子たち二人を連れて初めての幕営をしたところ、土砂降りの雨にたたられ、
久しぶりに引っ張り出して張ったエスパースの防水性能は相当劣化しており、テントの中は悲惨な状態になった。
子供たち二人を濡れから守ることで精いっぱいだったが、初めてのキャンプで興奮していた二人は、元気いっぱいで、
持ち込んだダンボールいっぱいのお菓子を食べまくり、狭いテントの中で大騒ぎをし、ご飯もたくさん食べ、
大雨の中、なんとか濡れから守ったシュラフの中でぐっすり眠って、一夜を明かした。
もっとも、お菓子を食べ過ぎておなかを壊した二人を、交互に、土砂降りの中、トイレに連れて行くはめになったが。。。
結局、天気の回復が望めないというより、ほとんどのすべての装備を濡らしてしまい、これ以上耐えられないという判断で、
明け方にテントを撤収、車においたあった乾いた服に着かえさせ、早々に帰途についた。
雨は、山を下りても、高速ワイパーでも追いつかないくらいの土砂降りで降り続いていた。
この日、各地でいくつもの遭難事故が発生していたことを、下山後のニュースで知った。
娘7歳、息子4歳の夏だった。
そんなわけで、テントをなんとかしなくてはならなくなった。
次の年、居住性と性能を考え、奮発して四人用のダンロップK4を購入することにした。
大人でも三人で使える大型テントだ。
小さかった息子は、テントの中で十分立ち上がれた。
で、リベンジに、再び白駒池に向かった。
その年も、お盆の天気はすぐれず、この白駒池テント場も、午前中に張ったのは、我々だけ。
午後になって、小さな子供を連れた夫婦がテントを張り、結局二張だけだった。
けっこうな雨が降っていたが、さすが新品、まったくびくともせず、テントの中は快適そのものだった。

翌日は結局曇り空だったが、朝は一時的に日も差し、二人を連れて高見石から、中山、ニュウを一周、
苔むした道をテントまで戻った。
今考えると、8歳と5歳が、よくあの距離を登り、下ったと感心し、また何かあったらどうしたものだろうかと、
怖くなるが、意外に子どもというのは、元気なものだった。
こうして、単独行はしばらくお休みとなり、
二人を連れて、大型テントと食料の大荷物をもっての山行となったため、テント場まで歩く距離が短い事が、
登る山を選ぶ条件となった。
翌年は、北沢峠にテントを張り、藪沢小屋での一泊をはさみ、仙丈岳に登頂した。
娘四年生、息子一年生だった。

その翌年は、廻目平に幕営し、金峰山を往復した。

娘はこれを最後に、山には行かなくなった。
息子とは、4年生の時に、種池にテントを張って、爺が岳、鹿島槍を目指したが、風雨が強くなり、鹿島槍は断念。
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二人分であれば、何とか荷物を担ぎ上げることができたが、相当きつかったことは事実だ。
種池までの登り、相当時間がかかった。
受験やいろいろあり、その次に登ったのは、息子が中学に入ってから。
新穂高の駐車場で一夜を明かし、槍平から槍を目指した。
新調した大型ザックに詰めた装備は、25キロ前後あった。
高校時代の歩荷訓練は30キロだったが、それに近い重量を担ぐのは、久しぶりだった。
ジムで水中歩行を繰り返し、一応準備してきたので、時間はかかったが、なんとか槍平まで担ぎ上げることはできた。
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その後、息子は何かと忙しいらしく、今年7月の奥穂まで、山から遠ざかり、このダンロップK4も、
尾根裏にしまわれたままになった。
従って、再び単独行をしてよい環境に戻ったため、例のテントも復活することになった。
二年前の9月、午前中の双六テント場。 他にだ~れもいない。。
前泊地の鏡池から登って、テント設営後、双六、三俣蓮華の一帯で、大展望と紅葉を楽しんだ。
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久しぶりということもあるが、一人の装備にもかかわらず、やたらに荷物が重く感じて、新穂高から鏡池まで、
超不調で、時間がやたらにかかってしまった。
このテントでさえ、重く感じるようになり、軽量ツェルトという手があるのを思い出した。
翌年、早速、秀山荘で購入し、剣に行った。
ダムから内蔵助平を経て、真砂沢ヒュッテ前に幕営した。
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結局、フライがないので、タープを持っていったから、テント関係の総重量は、アクシーズと同じくらいになってしまった。
でも、ツェルトは所詮、ツェルト。
悪天候の時に長時間快適に過ごすことはできない。
やはりテントは必要だ。
さあ、どうしよう。。。
槍平のテント場で時間があったので、たくさん張ってあるテントを観察してみた。
いろんなテントがあった。
+アルファの工夫もいろいろと見た。
あとで、ブログでアドバイスもいただいた。
結論。
幅90センチ以上、長さ200センチ程度。 最近の一人用テントは、だいたいこれを満たしている。
入口は、長辺側にあること。
モンベルや以前のアクシーズは短辺側に入り口。
好みもあるが、壁の立ち上がり角度が急な側に入り口を作った方が、雨は降りこみにくい。
そしてフライで形作る前室の使い勝手は、長辺側の方がよい。
フレームとテントの結合は、吊り下げ方式の方が設営しやすい。
で、いろいろ迷ったが、ダンロップのK4を気に入っているので、設営方法が同じで、構造も似ている、
PROMONTE V14を、アクシーズの後継テントとして、選ぶことにした。
さかいやスポーツのネット通販。楽天会員入会特典で、2000円引き、金33,952円。
それで、届いた。

ちっちぇ、かるっ。
さて、使いに、どこに行くかな。。
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